家庭教会のすすめ

〜いちばん身近な隣人を愛しましょう

 人と人とを利害関係を超えて結びつける力を愛と定義しましょう。親子や兄弟の家族愛や、親友との間の友情、純粋な男女の愛情がこれにあたります。

 愛の関係が結ばれているときは、相手が喜んでいれば自分もうれしいと感じ、逆に相手が苦しんでいれば、自分も苦しく感じます。このような愛の関係の中では、人は利他的な行動を、ごく自然にとることができます。

 では、このような愛はどのようにして生じるのでしょうか?私たちは、長年連れ添った夫婦が離婚することがあることを知っています。一緒に遊び育った兄弟が骨肉の争いをすることを知っています。どうやら愛は、ただ長く一緒にいれば生じるというわけではないようです。

 私は、愛の根源は、愛される喜びではないかと考えます。認められたら、うれしい。大切にされたら、うれしい。愛されたら、うれしい。それらは、人間誰しもが共通に感じる、心の発露です。そして誰でも、自分を理解してくれる人、自分に喜びを与えてくれる人に対しては、愛着を感じるものではないでしょうか。

 では、そのような愛される喜びを、一番最初に感じさせてくれるのは誰でしょうか? 人間は誰でもおぎゃーと世に生まれてきて、自分ひとりでは生きられない状態から少しずつ成長していきます。物質的には、衣食住の生活環境、精神的には、まわりからの語りかけや微笑みかけによって、愛情を感じて育っていきます。

 人間にとって、愛情の基地ともいえるその場所は、父親と母親、兄弟、祖父母を中心とした家庭にほかなりません。家庭が豊かな愛情に満ちているのか、それとも愛情が乏しく殺伐としているのか。そのような家庭の雰囲気は、子どもの性格や人格、人生観、アイデンティティに大きく影響を与えます。

 かつてマザーテレサは、先進国にも貧困があるとして、心の飢えの問題を指摘しました。幼児の虐待、いじめ、家庭内暴力・・・。愛の貧困は、ほおっておくと貧困の連鎖を生んでしまうのです。そのような愛の貧困を、どうやって解決することができるのでしょうか?

 家庭を構成する、最小単位は夫婦です。どのような家庭も、まず一組の男女が結びつくことから始まります。その夫婦の結びつきが弱いと、家庭は根っこから崩壊してしまいます。夫婦における一番の問題は、その愛情が長続きしないということです。

 愛は冷めるものだという人がいます。そのような人は、「愛そう」という「意志」と、「好き」という「感情」を混同しています。好きという感情のことを愛だと勘違いしているから、愛が冷めると思ってしまうのです。好きという感情は、自分が何も努力しなくても対象から誘発される受動的なものです。だから、対象が変化した場合、当然誘発される感情も変化してしまいます。

 それに対して、愛するというのは、意志を伴った能動的な行為です。利他的な行動をとるということです。だから、愛するには意志力や行動力が必要なのです。本来、結婚式では、お互いに「永遠に愛する」ことを誓っているはずではないでしょうか。結婚式が形骸化し、結婚の意義が希薄になり、感情のおもむくままに結婚したり離婚したりということが横行してしまってはいないでしょうか。

 人間の心は、愛される喜びを感じることによって芽生え、愛する喜びを知ることによって成長し、身をもって愛することによって完成するものです。聖書でいうところの隣人愛の実践も、まずなにより家庭において、夫や妻を愛するところからであり、子どもを愛し、よその子にも、わが子と同じ愛情を注いであげるところから、愛の器が拡がっていくのです。

 世界にはさまざまな宗教がありますが、真理を掲げ、正義を掲げて、歴史上数多くの争いが繰り広げられてきました。けれど、本当の真理は、変わらない愛、 例外なく愛する愛、わけ隔てなく愛する愛、それを誠実に実行する人間の人格の中にこそ宿るのではないでしょうか。

 今こそ私たちは、互いに愛しあわなければなりません。まず何より、最も身近な夫婦が愛しあうべきです。そして親子が愛しあい、氏族が、地域社会が・・・。天国に入りたいなら、愛することに勝る天国への道はありません。平和を創りたいなら愛することに勝る方策はありません。

 家庭教会は、最も身近で、最も普遍的な「家庭」において、愛の実践を重ねることによって、平和を創り出す人を育て、すべての人類が一つの家族のように暮らせる世界を実現するための第一歩 なのです。

 

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